福岡地方裁判所直方支部 昭和43年(ワ)77号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕鑑定人は本件の如き衝突事故において本件被害者車輛に生じた損傷を受けるような外力が加つた場合、運転者のどの様な部位にどの程度の傷害を蒙る可能性があるかを知るため、被害車輛と同一年式のダットサンブルーバードを利用し、モデル観察を行つた結果は次のとおりである。
被害車輛は損傷のない状態ではハンドルと前部ドアの内側との距離は約一〇センチメートルあり<証拠略>をみれば、被害車輛の右前部ドアはハンドルのすぐ附近まで陥凹していることが認められるから本件事故により被害車輛は前部ドア部分において約一〇センチメートルも内側に陥凹していること、又被害車輛の中心部が陥凹している状況からみてドア板後端面も相当強く内側に押しこまれたことが推認され従つてドア板内側下半にとりつけられているアームレストも内側に相当強く押しこまれたものと推認されるところ、自動車運転者としては通常身体右側、特に右上腕下半が前部ドア内側と全く離れた形のまま運転することは殆んど考られず、人によつてはドア窓に肘をのせている者さえある。本件被害車輛の運転席と前部ドア内面との位置関係からみれば運転者の身体の右側ことに右肘、右上腕などが右側ドア内面から一〇センチメートルも離れた姿勢で路上を運転することなどは到底考えられない。
そうすると本件被害車輛が受けた衝撃により運転席にあつてハンドル操作をしていた者の身体中ドア板内側に近い部位ほど早く、強い衝撃をドア板内側のつき出した変形部によつて外力が加わり、傷害を蒙ることになると判断され、最も損傷を蒙り易い身体部分は右上腕から肘にわたる部分となるであろうし、右上腕骨下半の骨折は容易に生じ得る筈である。身体躯幹のうち胸部右側は右上腕に遮られるからドア板との直接接触は生じない可能性が多く、これに反し右腰部はドア板内部と接触し得る状態にあり、ことに前記アームレストはドア板から五センチメートル内部に凸出しているし、その位置は運転者の骨盤上縁附近に一致するからドア板が外側から強く陥凹された場合、アームレストに運転者の右腰部が強く接触する可能性は極めて大きい、従つて本件の如き衝撃により運転者腰椎右側に骨折を生じることも充分考えられるところである。
ひるがえつて本件の如き衝突事故により運転者が殆んど傷害を受けないことがあり得るかについて考えるに、本件事故の如く被害車輛の右方から左方に向う形で加害車輛により衝撃を受けた場合、被害車輛の車体はドア板の陥凹のみならず車体そのものも左方に移動する動きが急激に生ずるものであつて、その際座席にある者は衝突の瞬間座席の移動方向と反対側に身体がずれるのが常であり、その際ずれる方向に物体があればそれとの衝突が生ずるものである。
従つて本件事故において運転者はドア板の急激な動きと身体の急激なずれとの急激な接触は不可避であり、運転者が急激な衝撃を受けないことはとうてい考え難いところである。
他方助手席に座つた者は本件の如き衝撃を受けた場合前記理由により座席の移動方向と反対側にずれる移動が急激に起るけれども、助手席の右方には硬固な鈍体はなく、運転者の身体のみである。硬固な鈍体による急激な衝撃と人体躯幹側面同志の衝突ではそこに生ずる損傷が相当異なることは法医学上の常識であり、右上腕下半の骨折や腰椎右側突起の骨折などが人体躯幹側面同志の衝突で生ずることはとうてい考え難いところである。
以上を綜合して考察すれば本件事故当時被害車輛を運転していたものは原告立石武雄であり、訴外梁七奉ではないと判断される。
というのである。
しかし、当裁判所は右鑑定の結果を直ちに援用することはできない。即ち本件事故の態様、加害車輛、被害車輛の損傷の態様その程度、原告の負傷の態様部位、程度、訴外梁七奉が殆んど傷害がなかつたとする鑑定人の鑑定の結果については当裁判所にも鑑定人が鑑定の資料に援用した証拠によつて十分認められるところであるけれども、鑑定人が「鑑定事項に関する考察」において掲げる前提は本件事故において直ちに採用することは相当でない。即ち鑑定人は本件被害車輛の運転者は右側ドアと離れて運転することはないとの前提に立ち、場合によつてはドア窓に肘をのせていることもあるとし、運転者の右肘、右上腕が右側ドア内面から一〇センチメートルも離れた姿勢で運転することは到底考えられないとし、前記のとおり一〇センチメートルも内側に陥凹したドアの破損状況から、運転者は負傷を受けないことは考えられないというけれども、右状況は通常の運転状況をいうものであつて事故発生における場合の異常な状態を考慮していないものであつて、証人梁七奉の証言(第二回)中には、事故直前、同訴外人は加害車輛を認めて極度に緊張し、瞬間息もできず、声をだそうとしても出ない状態でハンドルを握りしめたとの供述があり、かかる突嗟の状態にあつた運転者が通常の運転姿勢でいることは考えられず、むしろ同証人のいるところは事故に直面した者の態度として首肯できハンドルを握つてドア内側から身体を離すことも危険を突嗟に感じた場合人間の本能として考えられないことではない。又運転者の身体直近までドア内側に陥凹が生じたが運転者が身の危険を感じて必死の力でハンドルを強く握りしめた場合、被害車輛が瞬間的に左方に移動する際運転者も同車輛と同方向に移動することも考えられ、従つて鑑定人のいう運転者が被害車輛の移動方向と逆の方向に移動するとするとの考察も直ちに採用し難く、本件事故において運転者が衝撃による反作用を鑑定人のいう通常の場合より受けないことも考えられ、かかる異常事態を前提に考察すれば梁七奉が負傷しなかつたことが必ずしも経験則上絶無ということはできず、直ちに梁七奉の証言が信用し得ないと断ずることはできない。
ひるがえつて原告の負傷について考えれば、本件事故により鑑定人の述べるとおり被害車輛が急激に左方に移動することは経験則上認められるところである。しかし鑑定人のいうように衝突により助手席にある者が右方に急激に移動するのであろうと直ちに推認することはできない。何故なら、<証拠略>によれば被害車輛による約二、五メートルのスリップ痕があり、被害車輛も又急停車したであろうことは推認され、かかる場合衝突と同時に助手席にある者は前方にも移動するであろうことは経験則上明らかであつてこれを考慮に入れれば、助手席にある者は衝突と同時に右斜め前方に移動するものとみなければならない。そして助手席の右斜めの部分にはハンドルその他の被害車輛の鈍体があり運転者とちがつて助手席にある者はハンドルを握つておらず衝撃による作用を直接受けるから、鈍体によつて身体を強く打つことも又絶無ということはいえない、又前記のとおり運転者が必死の力でハンドルを握り衝突と同時に被害車輛が左に移動するのと同方向に移動することも考えられこの力が助手席にある者の被害車輛と逆の方向に移動する力に作用し、たとい衝突したものが人体であつても極度に緊張し固定したそれであるならば助手席にあるものが骨折等の傷害を受けないということは直ちに断定し得ない。証人渡辺徹夫は原告の皮慮面に擦過傷がなかつたのに内出血があつたことは鋭い力によるものではなく、鈍的な強い力を全般的に均等に受けたものと思われ、人体同志の衝突によつても原告の受傷は考えられ、相手の肘に当つた場合、相手に傷害が起らないことも考えられる旨供述するが、経験則上これを直ちに信用し得ないとすることはできない。鑑定人は、原告の骨折が被害車輛の陥凹した右側ドア或はアームレストとの打撃によるものと判断しているけれども、以上のとおりかかる異常時においては鑑定人のいう打撃をの外にも助手席にある者がハンドル等の鈍体によつて打撃を受けることも考えられるし、固定した人体によつても骨折を受けることも考えられるから直ちに助手席にある者が本件の如き事故に際し受傷することは認められないとする右鑑定の結果を採用することはできず<証拠説明略>。かえつて<証拠略>によれば、原告は昭和三五年五月二五日原動機付自転車の運転免許を受けたが普通自動車の運転免許を受けたことはなく、又普通自動車の運転免許を受けた者であれば当然有する知識もなく、普通自動車をこれまで運転したことはなかつたこと、原告は以前訴外梁七奉より金員を借り受けたことから知り合い、特別深い関係もなかつたがたまたま本件事故当日原告が梁の事務所を訪れたところ、梁が北九州方面に用事があつて被害車輛を運転していく事情がわかり原告も又門司に行く用事があつたので梁所有の被害車輛を梁が運転し、原告がこれに同乗させてもらい、助手席に乗つて本件事故に遭遇したこと、事故後原告は梁に対し、一一回も示談交渉に及んだがまとまらず、一時は梁が親戚に当る者を連れて原告を訪れ、無礼とも思える態度で示談をせまり、原告はこれに応じなかつたが、梁の父が後日その無礼を詑びに原告を訪れたこと
がそれぞれ認められる。
以上のとおりであるから本件事故当時被害車輛を運転した者が原告であることを前提とする被告の過失相殺の主張はその余の判断をするまでもなく理由がないものといわねばならない。(早船嘉一)